GOOD-BYE-JOURNEYを観てきた

 

 

推しのツイートでなんとなく名前だけは知っていたところ、ちょうど予定がぽっかりと空いてしまったので前日の夜にブルーシアターのあの坂に腹を括って行くことを決めました。

帰りの電車でぽちぽちしたままのものなので汚いですが見逃してください。

 

 

 

前評判の通り、わかりやすくストレートに感動できるストーリーでした。だからこそもう一度観たいんですが、予定が微妙なところです。なんとかして行きたい。

 

さて、パンフレットのインタビューにも書いていたけど、文音ちゃんの何にも染まらない凛とした雰囲気がすごくジャンヌダルクだった。いきなり語彙力が急降下ですみません。

たとえ神の啓示も聖女もがまやかしだとしてもあのジャンヌダルクは私たちにとって光だったし、何より「ジャンヌダルク」として選ばれる者は彼女でなければならなかったのだと思わせられました。やっぱりオリヴィエから剣を受け取るシーンがとても好きです。

それからのジャンヌの戦い、一度うずくまってダメになってまた戦いってジャンヌは立ち上がりますが("立ち上がらせられた"というほうが正しいのかもしれない)、歴史上のジャンヌは火刑に処されることを知っているので、この子このあと燃えるんだよなあとジャンヌの快進撃を悲しくなりながら観てました。


ミザリが破壊神ビルスに似てるなと思って、ミザリの出る場面は毎度集中出来なかったんですけど、終わってから調べてみたら全然破壊神ビルス感はなかったです。もしミザリ似のキャラに心当たりのある方がいらっしゃったら教えて頂けると嬉しいです。思い違いかな。


ジャン、めっちゃいいやつ。「羊くらい〜〜」っていう台詞の不器用さが少女漫画かなってくらいキュンときました。私がジャンヌダルクなら惚れてたよ。もしかしたら登場人物の中で一番好きかもしれない。でもジルドレの正統派プリンス感も捨て難いかな。殺陣はやっぱりかっこいいし観てて楽しいです。


みんなはフランスを大義名分にジャンヌダルクにいろいろなものを背負わせたけれど、みんなもまた春の先で何かを背負っていそうだなと思います。

その大きさはジャンヌダルクのものに比べたらちっぽけであり、また身勝手ではあると思う。けれど、ジャンヌダルクの世界はこじあけられたにせよ広く、他のみんなの世界は小さいんですよね。至って普通の世界の中で一生懸命に生きているので、彼らの背負うものは一人一人にとっては国を背負うことと遜色ないくらい大きなことで決意が必要なんじゃないかなと思います。そう、誰もが何かを背負って生きてる。(これ昔の浜崎あゆみの歌詞にあったような気がするなって思ったらLOVE〜refrain〜でした。)

誰かに背負わせ、悲しみと犠牲を払って、また何かを失い背負い、そのように生まれた新世界を果たして本当に「春」と呼べるのか?呼んでしまって良いものなのか?いう気がしてきますね。

この答えを出したいのでもう一回観たい……。

 

 

ところで元推しをなんで降りたかを一言でいえば「推してて悲しくなるので」なんですけど、今回は真面目に俳優をしていてびっくりしました。いくつか前に出た作品では本当に向上心を感じなくて、「いつ俳優という肩書きをやめるんだろう?」と観劇中終始イライラしていました。最近ツイッターやブログもろくにチェックしてないけどなにか転機になることでもあったのかな。しかしカーテンコールの彼はいつもの彼だったのできっと根本の部分は変わっていないのでしょう。

 

この作品を観たことで元推しを見直したとかそんなことはありませんけど、「煉獄に笑う」に俄然興味が湧いてどうしても観たくなってしまいました。

あ〜まんまと嵌められたなあという感じです。